阪田マサノブさんは大河ドラマや人気テレビドラマ、話題の映画などで活躍されており、抜群の演技力と存在感で多くの作品に重要な役割で出演されています。
近年ではNHK大河ドラマ「光る君へ」の藤原為光役でかなりの評価を受けておられ話題になっています。
映画では「科捜研の女 -劇場版-」長野智彦役や「GANTZ」シリーズの小林新一役で活躍されていました。
そんな阪田マサノブさんですが、実は若い頃「Z-BEAM」というコントコンビでお笑い芸人をされていたのをご存じでしょうか?
今回はそんな阪田マサノブさんの経歴とお笑い芸人からなぜ俳優になられたのか気になりましたので調査致しましたので、一緒に見て行きましょう!
阪田マサノブの経歴
阪田マサノブさんは早稲田大学出身で非常に頭も良く、俳優として成功された背景はこの頭の良さと努力にあると筆者は考えます。
それではまずは阪田マサノブさんの学歴からみていきましょう!
小学校の頃の阪田マサノブ
出身小学校については詳しい詳細はありませんが、大阪府内の小学校に通われていたのでしょう!
ランドセルに仮面ライダーのシールを貼りまくるほど夢中だったそうです。
中学校の頃の阪田マサノブ
高校の頃の阪田マサノブ
大学の頃の阪田マサノブ
阪田マサノブの若い頃はお笑い芸人!
阪田マサノブさんですが、若い頃「Z-BEAM」というコントコンビでお笑い芸人をされていました。
いったいどんなコントコンビだったのでしょう?
それでは見て行きましょう!
「Z-BEAM」としての阪田マサノブ
相方は前田真之輔さんで、現在は「前田真ノ輔」と改名し、劇団「PUCHI-KEKA」(プチケカ)の主宰者として活動されています。
コントコンビZ-BEAMは、1988年に佐藤B作さん率いる「劇団東京ヴォードヴィルショー」在籍中の阪田さんと前田さんによって結成されました。

劇団東京ヴォードヴィルショーとは、1973年に佐藤B作を中心とした20代の5人(佐藤B作さん、佐渡稔さん、坂本あきらさん、魁三太郎さん、花王おさむさん)で結成された劇団です。
当初は劇団に所属しながら活動されていましたが、1989年から1990年頃にプロダクション人力舎に移籍し活動されています。
いったいどんなコントをされていたのでしょう?動画がありましたので見てみましょう!
阪田さん若いですねー!さすが演劇出身なので演劇テイストのコントで面白いです!
そんなZ-BEAMさんは1989年、「新人コント大会」のオーディションで、放送作家の植竹公和さんによって「上級者組」として初出場で大抜擢され話題になりました。
植竹さんは「爆笑するようなネタではなかった」と感じられたそうですが、かなり印象に残ったようです。
これは異例の評価だそうで、すでに演技力の方に才能を発揮されていたのでしょうね!

1990年頃には、テレビ番組「LIVE笑ME!!」(日本テレビ)で4代目チャンピオンに輝きました。
Z-BEAMさんの代表コント「崩れた二人」は独特のスタイリッシュなスタイルでかなり注目を集められました。
そのコントは1990年9月27日に発売されたコンピレーションアルバム「P-FREAKS HOUR『ヤマアラシとその他の変種』」に収録されていましたが、2007年11月23日に再発売されたアルバムでは、著作権の問題かこのコントがカットされているみたいです。
こちらは筆者が調査していて見つけた動画で「残業」というコントですが、非常に演技力が高く面白く、確かにスタイリッシュと感じましたので、見てみましょう!
現在ですとアンジャッシュさんのコントと似ているように筆者は感じましたね!今見ても面白いです!
Z-BEAMは1988年に結成され1992年に解散したので、活動期間は約4年間と比較的短いですね。
解散理由については明確な情報は在りませんが、当時はお笑い界ではダウンタウンの登場により、テレビ界の変化も激しくお二人の方向性の違いもあったかもしれませんね。
それでは解散後の動きを見て行きましょう!
Z-BEAM解散後の芸人活動
解散後1993年には、たくみふぢおさんとコンビ「ジバ」(「PART TIMEガンジー」に改名)を結成されていますが、こちらは活動期間も短いようで情報は少なく、おそらくショートコントをされていたと思われます。

1996年には吉見幸洋さんとコンビ「GO・JO」を結成し、事務所はタイタンで活動されていましたが、2006年頃、タイタンを退社されています。
「GO・JO」でも阪田さんお得意の演劇風コントをされていたようです。
その後「GO・JO」としての活動は継続していたようですが、2013年には解散されています。

「PART TIMEガンジー」「GO・JO」も「Z-BEAM」ほどテレビの活動もされておらず、ひっそりと劇場で活動されていたのでしょうね。
阪田さんと吉見さんは現在は高岡事務所に所属し、俳優として活動されています。
2013年以降は芸人をされておらず、阪田さんは俳優に専念されています。
芸人を引退し俳優の道に進んだ理由は?
芸人引退後は俳優一本で現在まで活動されていますが、芸人からなぜ俳優の道に進んだのでしょう?
キャリア転換は相当大変だと思われますが、その経緯を見て行きましょう!
芸人から俳優の道に進んだ理由
阪田マサノブが芸人引退後に俳優の道に進んだ理由は、早稲田大学第一文学部在学中に劇団東京ヴォードヴィルショーに入団したことから始まっています。
お笑いでの芸人活動中も演劇風のショートコントを得意とされ、独特な芸風で人気を集められていたので、この頃から、俳優としての才能が芽生えていたのでしょう!
ですが、お笑い芸人としては、なかなか世間的に評価が上がらず、コンビの結成解散を繰り返していた阪田さんですが、その活動の中で得た経験や、演技への関心が強くなり、芸人よりも俳優の方が向いているのではないか?と感じられたのではないかと筆者は推測します。

その気持ちが芸人から俳優の道に進んだきっかけだったのではないでしょうか。
そして、お笑いコンビでの活動を経て、阪田さんは1991年に映画『波の数だけ抱きしめて』で俳優デビューを果たします。
阪田さんが演じたのはFM局の技術部門を担当する芹沢良明という役で、物語の中で重要な役割を果たし主役ではありませんが、脇役として素晴らしい演技をされ高い評価を得られています。

ただお笑い活動の解散後、真剣な役柄や多様な演技をすることにかなりの課題があったと思われ、俳優として評価されるまでは時間がかかったと推測されます。
それでも現在まで30年以上俳優としてやってこられていますので、かなりの努力と経験をされたのでしょう。
現在も映画、ドラマと精力的に活動されていて、名脇役として素晴らしい演技を見せてくれています。
阪田マサノブの出演作品まとめ
阪田マサノブさんが出演された映画やドラマをまとめてみました!
ね!良かったら見てください
阪田マサノブさんが出演された主な映画
- 1994年「怖がる人々」
- 2000年「十五才~学校IV」
- 2002年「模倣犯」
- 2011年「GANTZ」シリーズ
- 2012年「アウトレイジ ビヨンド」
- 2016年「劇場版 信長協奏曲」
- 2021年「あなたの番です 劇場版」
- 2023年 「恋のいばら」
阪田マサノブさんが出演された主なテレビドラマ
- 2008年「エジソンの母」
- 2009年「派遣のオスカル〜少女漫画に愛をこめて」
- 2012年「リーガル・ハイ」
- 2014年「信長協奏曲」
- 2019年「あなたの番です」
- 2020年「鉄の骨」
- 2022年 NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」
- 2025年 「財閥復讐〜兄嫁になった元嫁へ〜」
その他多数出演されていますが、最近では2023年にwebドラマ「仮面ライダーアウトサイダーズ」やラジオドラマでNHK-FMの「FMシアター」で『アディショナルタイム』で根津忠太役を演じられています。
まとめ
今回の記事をまとめますと
- 阪田マサノブは若い頃Z-BEAMとしてコントコンビで活動していた。
- Z-BEAM解散後も芸人活動を続けたが大きな評価は得られなかった。
- 芸人引退後に俳優の道に進んだのは、芸人よりも俳優の方が向いているのではないかと考えられた可能性がある。
今後も阪田マサノブさんの多方面でのご活躍を応援いたしましょう!

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